南米のサッカー選手達と日本のサッカー選手の勝負強さの違いを表す一つの言葉、「ハングリー精神」
南米サッカーを表す形容詞として、よくこの言葉が使われる。だが、果たして彼らの強さの秘訣はハングリー精神なのか。もちろん家族の絆や愛の深さは、日本人に比べると、遥かに南米の人達のほうが表情に出ており、その深さが感じられる。そして、それが一つのモチベーションになってるとも。
ただ、ハングリー精神が彼らの強さの源だと一括りにするのは違うのではと、実際に現地の選手と触れ合いプレーする中で感じた。
負けても負けたことにせず、勝つまでやめない一流選手
私は過去に、アルゼンチンのトップリーグのチームで練習参加をし、実際に現地の選手と触れ合った経験がある。その時のことだ。チームの練習場に着いて早々、グランドに出ると自主練をしてる1人の選手がいた。私は、半袖短パンにスニーカーの出で立ち。しかし、彼に誘われ軽くボールを蹴る事になった。
しばらくすると、グランドの脇にボールが2個ほど入る小さなゴールが横たわっており、それをお互いのゴールにして、1対1をすることになった。
私は、初めからとばして何度もゴールを奪う。彼も何だこの日本人はとビックリしているようだった。私はその後、そろそろやめようと言うと彼は3点マッチにしようと言い始めた。
すぐ終わっちゃうと思っていたのだが、始まるとさっきまでの1対1が嘘のように、必死で食らいついてくる。それでも、私が点を奪うと、本気で悔しがり、3点目を奪うと、「今のはサイドネットの外から入ったからダメだ!」と言う。絶対に、点をとったはずなのに、本当にサイドネットの外から入ったのか、とこっちが思ってしまうくらい熱を持って伝えてくる。
「オーケー」。そしたら、ちゃんと入るまでやろうということで、続けてると彼が最終的に勝利する。
彼は生まれてこのかた、負けを知らないサッカー選手だろう。負けるのが嫌で、負けを絶対に認めず、勝つまでやる。そうやってこれまで生き残ってきたのだろう。
そして、彼は現在、U23アルゼンチン代表でプレーする選手にまで成長した。
恐らく、彼とは逆で負けたら「あぁ、負けちゃった」と勝負をやめる選手もアルゼンチンにはいるだろう。だが、そうやってすぐに負けを認める選手は、生き残っていけない世界なのだ。
試合中に必死にボールに食らいつき、勝利に飢え、ゴールを貪欲に目指す選手達には必ずこの要素が備わっている。
ハングリー精神とは、何かというのが、この体験談から見えてくるのではないだろうか。
ハングリー精神は、実は培うものなのではないかと筆者は思う。
「協調性」「空気」「周りの目」など日本には何となく人に合わせたり、空気を読まなくてはいけない風潮があるが、そういう部分が日本人のサッカー選手の成長の足枷になっているのかもしれない。
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