攻撃的なサッカー。守備的なサッカー。そしてその両方を取り入れたバランスの良いサッカーを展開し、日本代表を初のW杯決勝トーナメントへ導いた監督フィリップ・トルシエ氏。
当時トルシエ氏のやり方に批判的な声もありました。それでも常に日本代表のために戦い続けてきました。トルシエ氏は日本サッカー界の発展に大きく貢献した1人でしょう。
そんなトルシエ氏は現在どんな活動をしているのでしょうか。
トルシエのこれまでのサッカー人生
トルシエ氏は監督をやる前はサッカー選手としてプレーしていました。フランスのルーアンや、ランスでプレーし、その後28歳で監督の道へ。
1983年にU-15フランス代表を1年間指揮。その後フランスのアランソンで監督就任しました。
1987年には、同じくフランスのASレッドスター93の監督に就任。クラブを2部へ昇格させるなど、大きく貢献しました。
その後もフィリップ・トルシエ氏は、コートジボワール・南アフリカ・モロッコ・ナイジェリアなど、様々なクラブや代表チームを指揮。
そして1998年に日本代表監督に就任します。
しかし就任した当初はなかなか結果を出せず。負けや引き分けが続き、批判的な声が囁かれていました。
トルシエジャパンが機能し始めたのが、ハッサン二世国王杯。この大会では強豪・フランスに2-2で引き分け、ジャマイカ相手に4-0と大勝します。帰国後も勢いは止まらず、キリン杯ではボリビア、スロバキアと対戦し1勝1分。計4試合で2勝2分の成績を残し、解任を免れました。
2000年シドニーオリンピックでは、32年ぶりとなる決勝トーナメントへ進出します。さらに続くアジア杯2000でも決勝トーナメントへ進出すると、攻撃的なサッカーを展開し中国、サウジアラビアを撃破。今大会では優勝を果たし、トルシエ氏はAFC年間最優秀監督を受賞しました。
ここまで攻撃的なサッカーを展開してきたトルシエ氏でしたが、フランスとの親善試合以降守備的なサッカーに変更。フランス、スペインにも大敗し再び批判されはじめます。
動画=YouTube:2002 ワールドカップ 日韓 ドキュメント
しかしフィリップ・トルシエ氏は
「攻撃的なアジアカップと守備的なスペイン戦、攻守のバランスはその間にある」
と語ると、2001年FIFAコンフェデレーションズカップでは対戦相手や試合内容により柔軟に戦術を変化させ、史上初の決勝へ進出。フランスとの決勝は惜しくも0-1で敗れてしまうものの、高い評価を受けました。
2002年日韓ワールドカップでは、グループリーグを2勝1分で1位で決勝トーナメントへ進出。これが日本代表初の決勝トーナメント進出となります。しかし決勝トーナメント1回戦でトルコと対戦し、0-1で敗れ敗退。W杯終了後、日本代表監督を辞任しました。
その後はフランスのマルセイユやモロッコ代表などを指揮。2006年にはイスラム教に改宗し、本名もオマルへ改名。
再びアジアへ拠点を移すと、FC琉球の監督に就任。さらに2018/2022FIFAW杯日本開催招致アンバサダーに就任するなど、幅広い活躍を見せました。
トルシエの現在
フィリップ・トルシエ氏は現在、ベトナムを拠点にユース世代の指導にあたっています。2017年から「PVFフットボールアカデミー」でベトナムサッカーの指導を続けており、ベトナムサッカーの育成に大きく貢献しているようです。
近年では、ベトナム代表も着々と力をつけてきており、今後日本代表にとっても脅威となる国へと成長していくかもしれません。
さらにトルシエ氏は現在も日本サッカーに関心を持っているそうで、2018年W杯でも日本代表にエールを送り続けていました。
日本から離れた今現在も、日本代表に刺激を与える1人。今後も日本サッカーの発展にアドバイスも求めたい人物でもあるでしょう。
そして今後はベトナムサッカーも注目すべき。トルシエ氏が日本サッカーを発展させてように、ベトナムサッカーを大きく発展させていくかもしれません。今後のトルシエ氏の活動にも注目していきましょう。
動画=YouTube:HLV Philippe Troussier hài lòng với chiến thắng của U19 Việt Nam trước U19 Sarajevo | VFF Channel
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