前回のコラムでも紹介しましたが、私は毎年、世界各国に育成年代の選手たちを引率しています。世界のさまざまなカテゴリーの大会に参加するにあたり、私は日本の選手たちのレベルが、世界の相手にどれだけ通用するのかも確認しています。
大会会場で、現地の指導者と話す機会を多く持ちます。彼らは口をそろえて私に、「日本人はうまい」と言ってくれます。しかし、私はこの言葉にある“違和感”を感じているのです。
世界の指導者は結果を求める選手を評価する
海外の指導者は、私にお世辞を言っているのか。はじめはそう思いました。しかし毎年、私は選手たちの海外引率をとおして、日本人選手の技術が海外の選手に通用するシーンが、年々増えているのを見ています。私は「日本人はフットボールが上手」と胸を張って言えます。
そこで私は、よく冗談半分で現地の指導者に「では、そちらのクラブでウチの選手を使ってください」と伝えると、大体の指導者が「(技術が)うまくても戦えない選手はなあ……」と、吐露します。私はこのフレーズを、海外で何度も受け止めてきました。
「日本人のフットボールは上手いが、選手として使えない」。技術があり、プレーも通用しているのにもかかわらず、選手として認められない違和感。私はこの気持に対して、海外遠征をはじめた当初は腑に落ちませんでした。

しかし、私が指導者として歩みだした頃、一緒に仕事をしたスペイン人指導者の言葉がその妄執を晴らすヒントとなりました。彼は私に「日本人の子供たちのフットボールは、まるでお遊戯会だね」と言うのです。言われた当時は正直、理由を深く考えませんでした。しかし指導者としての経験を重ねるなかで、そして世界の育成カテゴリーの選手に目を追っていくことで、この言葉の真意が痛いほど突き刺さってきました。
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