【訃報】Jリーグでも活躍、サッカー元韓国代表のユ・サンチョル氏が死去

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元韓国代表で横浜F・マリノスなど、日本のJリーグでも活躍した柳想鉄(ユ・サンチョル)氏が、2021年6月7日にすい臓がんのため49歳の若さで亡くなりました。

柳氏は韓国Kリーグ仁川の監督を努めていた2019年11月にすい臓がんが見つかり、名誉監督として職を残し、闘病を続けていました。

韓国のみならず、日本サッカーにも貢献してきた柳氏のご冥福をお祈りするとともに、柳氏が歩んできたサッカー人生を振り返ります。

韓国から日本へ

©Photo:unsplash.com[Joshua Hoehne]

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1971年10月18日生まれ、韓国ソウル市出身。

守備的MFを主戦場とし、DF、FWもマルチにこなすユーティリティー性のあるプレーヤーとして活躍。
1994-1998シーズンに23歳で韓国Kリーグの蔚山現代FCでプロ生活をスタート、韓国代表にも選ばれる。

横浜・F・マリノスでの完全優勝

105試合出場24得点の活躍をみせ、翌、99年にはJリーグ横浜F・マリノスへ加入。

2000年のファーストステージでは優勝に貢献し、2001年にはチームに在籍していた当時韓国代表だった洪明甫(ホン・ミョンボ)と監督を努めいていた西野朗から誘われ柏レイソルへと移籍。

在籍した2シーズンで33試合出場14得点を記録し、海外移籍を模索するも断念。

2003年には元日本代表監督の岡田武史が指揮する横浜・F・マリノスへ3年ぶりに復帰。

中盤の補強構想での獲得でしたが、右サイドバックとして加入が決定していたブラジル代表カフーの獲得が破談となったことが原因で、右サイドでの起用で出場機会を獲得すると持ち前のユーティリティ能力を発揮し活躍。

柳氏の活躍もありチームはファーストステージとセカンドステージ両方を制覇。シーズン完全優勝に大きく貢献し、サポーターにも愛される存在となりました。

そのまま2004年までチームに在籍、Jリーグ通算113試合44ゴールの成績を残したのち、韓国の蔚山現代FCに再び復帰することとなりました。

韓国史上最高のマルチプレーヤー

柳想鉄氏は2002年のサッカーワールドカップ日韓大会で主力として活躍。

ワールドカップ日韓大会ではその活躍により、国際サッカー連盟の技術委員により選出されるオールスターチームにも洪明甫と共に選出されました。

2003年に開催された東アジア選手権では大会MVPに輝き、柳氏のユーティリティ性は高く評価され、韓国史上最高のマルチプレーヤーと呼ばれました。

そして2006年3月4日、膝の故障を理由に惜しまれつつも現役引退を表明しました。

すい臓がんの公表

2009年からは高等学校のサッカー部監督を務め、2011年よりKリーグ・大田シチズンの監督を経て、その後2014年より蔚山大学校サッカー部監督に就任しました。

2017年には再びKリーグの全南ドラゴンズの監督に就任し2018年まで指揮しました。

翌2019年は低迷する仁川ユナイテッドFCの監督に就任しましたが、10月に体調不良で入院すると、11月にチーム公式サイトを通じ自身がすい臓がんであることを公表しました。

名誉監督として職を残したまま、闘病生活を続け一時はテレビ出演するなど活動。

2020年2月23日には闘病しながら来日し、古巣である横浜・F・マリノスのガンバ大阪戦を現地観戦し、集まったサポーターに「必ずまた戻ってくる」と力強く宣言し、サポーターも柳氏を励ますコールを送り「できるよ 柳想鐵兄貴!!」の横断幕で送りだしました。

日韓サッカーの架け橋へ

©Photo:unsplash.com[Travel Nomades]

Photo:unsplash.com[Travel Nomades]

2021年4月には再び病状が悪化。入院先のソウル市内にある病院で7日夜、苦しんだ闘病生活の末にお亡くなりました。

柳氏の死を受け、韓国サッカー協会には柳氏に対する感謝を示す多くのメッセージが寄せられました。

Jリーグ通算113試合出場44得点。
韓国代表として2度のW杯を含み94年から05年までの11年間で124試合出場18得点を記録しました。

改めて日韓サッカー界に多大なる貢献をしてきた柳氏に心よりご冥福をお祈りします。

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