日本屈指のサッカーライター森雅史によるインタビュー!
今回は、W杯を何回にも渡り取材し、Jリーグの公認ライターである森雅史氏にサカレコ本社を訪問していただき、サカレコ編集長である井手にインタビューを行っていただきました。
森氏が独自の目線から切り込む、井手の過去をインタビュー形式で3回に分けてお届けします!
インタビュー第一弾
インタビュアー:森 雅史 (日本蹴球合同会社)
撮影カメラマン:浦 正弘 (フリーランス)
——まず井手ウイリアム航輔編集長は幼少期をどこで過ごしたのですか?
父親の仕事の関係でアメリカで生まれ、その後は広島で6歳まで過ごし、そこからドイツのミュンヘンに行って9歳まで育ちました。だから英語は母国語レベルで、スペイン語は日常会話に困らない程度、それからドイツ語は日常会話程度だったら理解できます。あとは広島弁も話せます(笑)。
——ドイツでサッカーを始めたのですね。
6歳、幼稚園生のときですね。町のクラブです。
——クラブはどうやって選んだのですか?
父がいくつか候補のクラブを調べてくれて、その中で日本人コミュニティの友達がいるということを決め手にして選びました。だから「このチームじゃないと嫌だ」という理由はありませんでした。
——練習の頻度はどれくらいでしたか?
クラブの練習は週2回、それから日本人コミュニティのチームに週2回通って、土日は試合という感じです。ほぼ毎日サッカーしていましたね。
——練習していたフィールドはどういう環境ですか?
日本人コミュニティチームの練習は、普通の公園にゴールを立ててやっていました。クラブチームはアマチュアでしたが、子供から大人までのすべてのカテゴリーがあって、クラブハウスやクラブ専用のフィールドを持っていました。
どちらの練習場も芝でしたし、その後のアメリカでも芝生のピッチでした。だから僕は土のグラウンドでサッカーをやったことがありません。
——指導者はどういう人が務めていたのですか?
トップチームの人が教えに来てくれていました。もっとも強いクラブではなかったので父兄がコーチを務めることもありました。
——練習内容はどういうものだったのでしょうか?
戦術なんかよりも純粋にサッカーを楽しもうというところからスタートしました。基礎練習もあるのですが、戦術やポゼッションの練習はなく、ボールを蹴り合ってサッカーを楽しみましょうという教え方でした。
——基礎練習はどういうことをやっていたのですか?
蹴って止めるなどの簡単な技術練習です。1対1でボールを蹴って止める、ボールを追いかけてトラップするなどですよ。
日本では小さいころからもっとボールタッチやボールコントロール、リフティングなどのトレーニングを行うと思うのですが、ドイツではまったくそういう練習はありませんでした。ボールを蹴ってサッカーというスポーツを楽しむという感じです。
——当時の思い出は?
日本人コミュニティチームの試合の後は、丘の上のフィールドから下に降りてきたところのビアガーデンで大人はビールを飲み、子供はみんな大人気のアップルソーダを飲んでいましたね。
——小学校に入って何かサッカーの環境は変わりましたか?
僕が所属していたクラブはドイツの7部や8部に所属しているアマチュアで、日本で言うと県リーグレベルでした。でも僕が住んでいたミュンヘンにはバイエルン・ミュンヘンや1860ミュンヘンというドイツトップのブンデスリーガのクラブがあって、そのスカウトはやってきていました。6歳児の練習もスカウトが見に来ていて、目に止まればその年齢からでも大きなクラブの育成システムに呼ばれました。
——当時からプロサッカー選手への道は意識していたのですか?
ドイツにいた期間はどうやればプロサッカー選手になれるか分かっていませんでした。そういうビジョンも持たず、純粋にサッカーを楽しんでいただけですね。
——9歳でアメリカに引っ越した後は、どういうところでサッカーをしたのでしょうか?
最初はロサンゼルス近郊の、家に一番近いクラブに入りました。そのクラブは家族経営で、指導ライセンスを持っている家族の人がトレーニングを指導していました。
でも戦術というよりサッカーを楽しもうという方針で、戦術的なコーチングではなかったのですが、地域では一番有名でしたね。がむしゃらにサッカーをプレーする、試合をするというのがメインです。
——その当時、練習はどれくらいやっていましたか?
練習は週に2回、それから土日に試合をしていました。また、日本人コミュニティのチームでも試合が土日にあったので、重ならないようだったらそちらの試合にも出ていました。ですから週4日はサッカーをプレーしていたと思います。
——アメリカとドイツの違いはどう感じましたか?
僕のいた環境では、アメリカは技術面で言うとドイツよりも低かったと思います。ボールを止める、蹴るというよりも、どちらかというと前に蹴ってゴールを目指すというサッカーでした。
——9歳になるとそろそろ体格の差も現れるころかと思います。
9歳、10歳ぐらいではチームの中でそんなに体格の差はありませんでした。ただ、もっと上のレベルのチームに所属していた中にはキック力が図抜けていたり、体格の違う選手がいました。
——そこからプロ選手を意識するクラブに移籍したのですね。
土日はだいたい大会に出場していて、ラスベガスの近くで開催された大会に参加したとき、メジャーリーグサッカーに所属するロサンゼルス・ギャラクシーのスカウトが見に来ていたんです。それで僕に目を止めてくださって、オファーをいただきました。それで11歳のときにギャラクシーに加入することになりました。
最後に
今回も最後までご拝読いただき誠にありがとうございました。第2弾も近々公開されるので、お楽しみに!
プロフィール 森雅史

佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。在学中からサッカー関連の職業を探すが叶わず、一般企業へ就職。だが10年を経てサッカーダイジェスト編集部へ。その後、多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。ワールドカップは1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会と現地へ。2011年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌へ、2018年にはイランのテヘランで日本戦の取材をした。Jリーグ公認の登録フリーランス記者
Twitter: @mori_masafumi
プロフィール 井手ウィリアム航輔

カリフォルニア州・ロサンゼルス生まれ。アメリカで高校を卒業し、15校以上の大学から奨学金のオファーがあったが、プロを目指すためすべてのオファーを断り、単身でドイツとスペインへ留学。スペインへ留学中、1部リーグCDレガネスとプロ契約。2020年契約満了とともに退団。2021年2月にサカレコ編集長就任。日本語・英語・ドイツ語・スペイン語の4ヶ国語を操るマルチリンガル。日本の出身地は広島県。
Instagram: @k.ide_football
Twitter: @kide_football
◆関連リンク◆
Japan Football LLC
森雅史の Football Is Alive
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