【2人のレジェンド】 今年引退の内田篤人氏中村憲剛選手を惜しむ

2人のレジェンドが惜しまれつつ引退

二人の日本サッカー界のレジェンドが、今シーズンでユニフォームを脱ぐことになりました。

内田篤人元選手と中村憲剛選手です。

21世紀初旬から今日まで、多くのサッカーファンや世界のトップ選手も一目置く存在として、日本サッカー界を牽引してきた2人のサッカー選手の経歴を名シーンと共に振り返ります。

2020年8月に引退した内田氏と、11月1日に同じく引退を発表した中村選手のお互いへのメッセージもご紹介したいと思います。

◆関連記事◆
【森本貴幸】日本サッカーの未来を託されていた男の今までとこれから

内田篤人

愛する2つのクラブで史上初・Jリーグ3連覇とCLベスト4を経験

  • 1988年3月27日静岡県の生まれ、静岡県立静岡東高校を卒業。
  • 2006年に鹿島アントラーズ入団し、同年から監督に就任したパウロ・アウトゥオリに高く評価され、Jリーグ開幕戦(対広島)でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たしました。第4節の甲府戦でクラブ史上最年少得点を記録しました。

    当時の内田選手は17歳11か月22日で、この年齢でのプロ初得点は、当時の記録である18歳1か月15日を上回って高卒ルーキーの史上最年少得点記録となりました。(誕生日が3月の終盤のため、卒業式後に高卒ルーキーで試合に出場した日は誕生日を迎える前で、まだ17歳11カ月だったのです。)さらに、同年のJ リーグオールスターサッカーではDFの最多得票を獲得し、史上最年少で出場を果たしました。

  • 2008年初めて日本代表としてA代表デビューを果たします。そして自身初のJリーグベストイレブンにも選ばれ、評価を高めていきます。
  • 2009年には所属する鹿島アントラーズで史上初のJリーグ3連覇を成し遂げます。内田選手自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選ばれました。
  • 2010年末にドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04へ海外移籍しました。移籍後こそは低調でしたがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)ではレギュラーとして出場し、決勝トーナメントの準々決勝では当時セリエAのインテルに所属していた長友佑都選手と対戦することになり、CL初の日本人対決が実現しました。この対決で内田選手は「EURO SPORTが選ぶCL準々決勝第1戦のベストイレブンに選ばれています。準決勝ではマンチェスターユナイテッドと対戦し、ウェイン・ルーニーとマッチアップしました。試合に敗れてベスト4に終わりましたが、シャルケのCLベスト4はクラブとして・日本人としても共に史上初となります。
  • 2011-12年シーズンからケガとの闘いが始まり、2016年まで、ケガで離脱・復帰を繰り返すことになります。
  • 2017年8月に出場機会を求め、シャルケからブンデスリーガ2部の1.FCウニオンベルリンへ移籍します。
    移籍後の9月20日SVザントハウゼン戦で、約2年半ぶりに先発としてフル出場しましたが、その後ケガで離脱しています。
  • 2018年1月に古巣の鹿島へ復帰し、約8年ぶりにJリーグのピッチに復帰しました。
    しかしリーグ戦出場はわずか13試合に留まります。2019年もリーグ戦出場は10試合のみでした。
  • 2020年8月、現役引退を発表します。引退と同時に長かったケガとの闘いも終わりを迎えました。
  • サッカー日本代表の国際Aマッチ出場数:74試合

中村憲剛

川崎フロンターレ一筋18年、クラブをJ1王者へ

  • 1980年10月31日、東京都で生まれ久留米高校・中央大学を卒業します。
  • 2003年川崎フロンターレに入団します。入団当時J2だった川崎ですが、中村選手も主力の一人として活躍し、入団の翌年には昇格を成し遂げます。
  • 2006年にはオシム監督のもと初A代表デビューを飾ります。
  • 2016年36歳の時、史上最年長でJリーグのMVPを獲得しました。
  • 2017年、プロキャリア15年目遂に悲願のクラブ初Jリーグ制覇を叶えます。
  • 2019年、靱帯を損傷し離脱しますが、10か月間のリハビリを経て、2020年8月シーズン途中で復帰しました。
  • 約2か月後の40歳の誕生日当日キャリア初のバースデーゴールを記録しましたが、翌日11月1日に今シーズン限りでの引退を表明します。
  • 2020年11月25日ホームの等々力競技場で、チームとして年間最多勝点、年間最多勝利、最速優勝を達成し、中村選手がシャーレを掲げて有終の美を飾りました。
  • 引退セレモニーは2020年12月21日に等々力競技場で開催されます。
  • サッカー日本代表の国際Aマッチ出場数:68試合

◆関連記事◆
平山相太「高校サッカー選手権大会歴代最高のFW」が新たに目指す道

二人の象徴プレー集

二名の共通点として体のサイズが小柄という点が挙げられます。身体の線も細いながら、世界に通用するプレーも多く、目を見張るものがありました。

内田篤人元選手(176cm)

プレーの特徴は、勝負強いDFでありながらの攻撃的センス。
内田選手からうまれたチャンスは数え切れません。

動画=YouTube【内田篤人 スーパープレー&クロス Uchida Atsuto Superplay&Crossing】

2020年8月に行われたカシマサッカースタジアムでの引退セレモニーでは、涙を流しながら、サポーターや監督、スタッフ、仲間たちに感謝の言葉を述べていたのが印象的です。

中村憲剛選手(175cm)

中村選手のプレーの特徴は何といっても精度の高いスルーパスです。
内田氏も中村選手の凄さを以下のように称えています。

ボールを受ける位置、ターンの上手さ、インサイドでのロングパス

引用元=(内田篤人のFOOTBALL TIME#5 :DAZN)

動画=YouTube:中村憲剛の異次元なテクニック32連発!【川崎フロンターレ】

動画=YouTube:【J最速優勝の瞬間】川崎フロンターレ 中村憲剛の次々とハグ、田中碧のベンチへダッシュ、シーズン優勝の瞬間 2020/11/25川崎フロンターレーガンバ大阪 等々力競技場

お互いの引退について語る

内田篤人氏→中村憲剛選手

引退の瞬間までみんなで応援しよう

日本テレビ系スポーツ番組「Going!Sports&News」にゲスト出演した際、中村憲剛選手の引退についての内田氏のコメントです。

寂しいなと思います。僕が引退するときに「もっとやれるでしょ」と声を掛けてもらったんですけど、「やれるんじゃない、憲ちゃん」という反応になりましたね。僕も会見の2時間前ぐらいに電話頂いて、「やめるわ」って言われて冗談だと思いました。
ケガなく最後までやって欲しいなと思います。

2020年J1リーグも残り僅か。
中村選手の引退も迫り、内田氏は「最後まで応援するし、ファンも一緒に応援しよう」と促しています。

中村憲剛選手→内田篤人氏

お互いに若いころから認め合っていた関係

内田氏の引退が発表されたとき、中村憲剛選手Twitterで以下のようにコメントしていました。

寂しい。これは寂しい。
会う度に「けんちゃんより先には絶対やめないからー」って言ってたじゃないか…。代表で出会った時のことは今でも鮮明に覚えてる。日本にも18歳でこういうSBが出てきたのかと。
本当に素晴らしい選手でした。
とても寂しいけど、篤人、長い選手生活お疲れ様でした。

今後について

中村憲剛選手

内田氏は中村選手の今後について、以下のように発言しています。

サッカーが本当に好きなので指導者はやってくれると思う。
中村選手が監督だったら強い。いろんな戦術を使い駆使すると思う。終わってからもサッカー界に携わってほしい

引用元=内田篤人のFOOTBALL TIME#5 :DAZN

内田篤人氏

内田氏自身は現在様々な番組出演でのサッカー解説や、日本代表のロールモデルコーチを務めており、コーチや監督といったキャリアに前向きな姿勢です。

ファンや周囲の選手からの人望が厚いお二人ですので、今後のサッカー界での活動にも期待出来そうです。

現役生活、本当にお疲れ様でした。

参照元=Wikipedia【内田篤人】【中村憲剛】

◆関連記事◆
平山相太「高校サッカー選手権大会歴代最高のFW」が新たに目指す道
【森本貴幸】日本サッカーの未来を託されていた男の今までとこれから

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です