【日本代表】現役時代は両足からミドル炸裂! 森保一代表監督の過去と現在

代表監督の経歴に迫る!

2022年にカタールで行われる FIFAワールドカップに向け、調整を続けるサッカー日本代表。国内組と海外組の調和、新型コロナウイルスの影響といった様々な要因で、課題が多いと言われています。

その日本代表を率いるのが、森保一(もりやすはじめ)監督。子ども達はもしかしたら、森保監督がボランチで、日本代表でもプレーしていたことを知らないかもしれません。そこで、現役時代の映像とともに、森保監督の過去から現在までを追ってみました。

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選手時代 オフトに見出され遅咲きから大抜擢

Photo:Pixabay.com[shauking]

高校〜JSL時代

森保監督は静岡県掛川市生まれ。引っ越しの関係で長崎に移住し、長崎日本大学高等学校でプレー。卒業後は東洋工業(現:マツダ)のサッカー部である東洋工業サッカー部に入部。入団当初の評価はあまり良くなく、同部のサテライト的な位置づけであるマツダSC東洋でプレーしていました。

転機は元日本代表監督であるハンス・オフト氏が、マツダを指揮した時でした。オフト氏は森保監督に目をつけ引き上げます。同氏はチームの降格とともに退団しますが、後任のビル・フォルケス氏によって森保監督は育てられ、1991年にプロ契約を果たします。同年クラブは日本サッカーリーグ(JSL)1部に昇格します。

Jリーグ〜代表選出

1992年にマツダはサンフレッチェ広島となります。同年4月、オフト氏が日本代表監督に就任すると、森保監督は日本代表に招集されます。当時のスター選手であるラモス瑠偉氏や三浦知良氏はと対象的に、ほぼ無名の選手として大抜擢されました。しかしピッチに立つと評価され、海外の監督から「日本にはよいボランチがいる」ということから、「森保」と「ボランチ」のワードに注目が集まりました。

守備的ボランチとしてチームを支える

同時はラモス瑠偉氏の後方をケアする守備的MFとして活躍。1993年のワールドカップアメリカ大会アジア予選で、あの「ドーハの悲劇」を経験しています。

現役後半〜現役引退

1993年から開幕したJリーグでは中心選手としてチームを支え、1994年サントリーシリーズではステージ優勝に貢献。しかし1995年7月、右足首関節脱臼骨折してしまい、思うようなプレーができませんでした。代表では山口素弘氏がボランチに定着したため、その座を譲る形となりました。

1997年はサンフレッチェ広島が経営不振に陥り、その影響は森保監督にも降りかかります。クラブは当初、同監督を京都パープルサンガに完全移籍をさせようとしていましたが、サポーターからの猛反発により、ローン移籍に。1999年に古巣に戻るも新体制に居場所はなくなります。2002年、クラブはスタッフ転進をすすめるも、森保監督は現役を続ける意思を貫きベガルタ仙台へ移籍します。ベガルタでは主力として活躍したものの、クラブはJ2降格し森保監督自身にも戦力外通知が下り、2004年に現役を退くこととなります。

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Jリーグでは通算15得点 ミドルレンジのボレーは両足から可能

守備的なポジションにいながら、通算15得点の中で目立つのがミドルボレーです。ロブやバウンドボールをインステップで見事にミートさせ、ゴールの隅に突き刺すシーンは迫力があります。

突出すべきは不利きの左足でもボレーを決めている点。右足と遜色ないミートで豪快にボレーを決めています。

動画=YouTube:サッカー日本代表 森保監督の現役時代のゴールTOP10!:TOP10 GOALS

広島監督時代では新人1人目でJ1優勝を達成

指導者の道に進んだ森保一監督は、2004年にサンフレッチェ広島の強化部のコーチに就任。同年にJリーグで指揮を取れるS級コーチライセンスを取得します。2005、06年にはU-19日本代表コーチを兼任し、2007年にはU-20代表コーチとして参加。同年には広島トップチームコーチに就任し2010年ではアルビレックス新潟のヘッドコーチを務めました。

そして2011年、またも経営不振に頭を抱えた広島は、当時の監督であったペトロヴィッチ氏との契約延長を断念します。同氏のサッカーを継承し、かつ広島の理念を理解している人物として森保監督に白羽の矢が立ちます。2012年、クラブ生え抜きの監督となった森保氏は同シーズン、「元Jリーガー初」「日本人新人1年目監督」としてJ1優勝を成し遂げました。さらには翌シーズンも優勝し連覇を勝ち取りました。

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ロシアワールドカップでコーチとして入閣

2018 FIFAワールドカップ ロシア大会では、同大会2ヶ月前に当時チームの指揮を執っていたヴァヒド・ハリルホジッチ監督が電撃解任となりました。後任に西野朗(にしのあきら、現タイ代表監督)氏が舵を切ることとなり、その新体制に森保監督はコーチとして入閣しました。

日本人初のA代表とU-23を兼任

そして現在、ロシア大会から昇格した形で、森保監督は2020東京オリンピックに出場するU-23と、2022FIFAワールドカップ カタール大会を狙うA代表の監督になりました。U-23とA代表を兼任するには、日韓ワールドカップで指揮を執ったフィリップ・トルシエ氏に次ぐもので、日本人監督としては初となります。

30戦20勝5分5敗だが……

2020年10月20日現在、森保ジャパンの戦績は、30戦20勝5分5敗です。勝利の数が多いものの、チームのプレースタイルがなかなか定まらず、国民から厳しい目で見られることもあります。日本代表監督のハンス・オフト氏以降、ワールドカップ明けの新日本代表の発足から日本人監督が就くのは森保監督が初めてです。同じ日本人だからか、その言動や采配を、ファンも敏感に感じ取っているのかもしれません。

新型コロナウイルスの影響でなかなか上手くいかないことがあるなかでも、ファンの願いはひとつ。ワールドカップに近づくとともに、チームのクオリティーを高めることです。

動画=YouTube:【森﨑兄弟】サンフレッチェ広島のレジェンド2人が語る森保監督の凄さ&秘話初公開!そして一番凄かった選手とは?!<和幸さん&浩司さん>

参照
Wikipedia(森保一

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