清水エスパルス一筋14年、日本代表の10番も背負った澤登正朗さん。足元の技術や得点能力、フリーキックを武器に、伝説となるような数々のスーパープレーを見せてきました。
澤登正朗さんのプレーぶりは、スター選手たちからしても特別なもので、ラモス瑠偉さんや三浦知良選手など、多くの仲間たちからその才能を評価されています。
2005年に35歳で引退した澤登正朗さんですが、現在はどのような活動をしているのでしょうか。
清水エスパルスで14年間プレー、「ミスター・エスパルス」に
動画:YouTube『清水エスパルス創成期の思い出とは?澤登 正朗が現役時代を振り返る』
澤登正朗さんは東海大学を卒業後、1993年に清水エスパルスに入団。2005年に引退するまで清水エスパルス一筋を貫き、ファンからは「ミスター・エスパルス」と称されました。
1997年には経営破綻によりクラブが消滅する危機に見舞われ、澤登正朗さんは大幅な減俸を迫られます。しかし、クラブへの恩返しとサポーターへの熱意に応える形で、清水エスパルスに残留しました。
成績としては、1993年にJリーグの初代新人王、1999年には日本年間最優秀選手賞を受賞。同じく1999年のJリーグでステージ優勝、2001年の天皇杯で優勝するなど、個人・クラブともにいくつものタイトルを獲得しました。
また、澤登正朗さんは日本代表としても活躍。オリンピック予選やW杯予選に出場し、「ドーハの悲劇」も経験しました。
10番に相応しいプレースタイル
澤登正朗さんは主にトップ下やサイドハーフ、ボランチでプレーし、足元の技術の高さや制度の高いキックを武器に、ゲームメーカーやパサーとして活躍しました。
また、得点能力が高く、左右両足でのミドルシュートやループシュート、正確に合わせるヘディングシュートなど、さまざまな形方ゴールを決められる選手でした。MFながら1995年から5年連続で公式戦2桁ゴールを記録しています。
さらに、フリーキックも得意としていた澤登正朗さん。なかでも1999年のJリーグ年間優勝をかけたジュビロ磐田戦でのフリーキックは、今でも伝説として語り継がれています。
ハワイ州のサッカー親善大使にも……国内外で選手の育成に努めている
現役引退後の澤登正朗さんは、日本全国でサッカースクールを主催し子どもたちの指導を行うなど、サッカー選手の育成に努めています。
2006年には日本サッカー協会からサッカーの普及活動に協力するJFAアンバサダーに認定され、2009年には日本サッカー協会公認のS級コーチライセンスを取得しました。
また、同じく2009年にはハワイ州のサッカー親善大使に任命され、現地の子どもたちのためにサッカーキャンプを開催しています。
そして、2013年に地元である静岡県の常葉大浜松サッカー部の監督に就任。指導者として本格的に現場への復帰を考えていたこともあり、そのスタートとして大学サッカーの監督という選択をしました。
澤登正朗さんは指導者の他にも、テレビやラジオでのサッカー解説やイベントの講師などの活動も行っています。
将来的にはJリーグの監督に
澤登正朗さんが常葉大浜松サッカー部を指揮し始めてから今年で8シーズン目。指導者としての今後について以下のように話しています。
そろそろ次も見据えないとという時期なのかもしれません。そんなに急いではいませんけどね。もちろん将来的には日本のトップリーグで指揮をとりたいというビジョンはあります。
引用:「常葉大学サッカー部・澤登正朗監督&山西尊裕コーチインタビュー」
選手として清水エスパルスにすべてを捧げてきた澤登正朗さん。将来的にJリーグのチームを指揮したいということは、監督として清水エスパルスに戻る日が来るかもしれません。
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