ジュビロ磐田の黄金期を支えた藤田俊哉
ジュビロ磐田の黄金期を支え、MFながらJリーグ通算100ゴールを達成した藤田俊哉(ふじた・としや)さん。2001年にはJリーグMVPを受賞するなど、Jリーグを代表する選手として活躍しました。
また、現役時代から日本サッカー協会の指導者ライセンス取得に取り組むなど、引退後のキャリアを見据えて活動していたことも印象的です。
2012年に引退した藤田俊哉さんですが、現在はどのような活動をしているのでしょうか。
動画:YouTube『J.League 2001 Season MVP Toshiya Fujita(Jubilo Iwata) Movie』
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ジュビロ磐田で数々のタイトルを獲得
1994年にジュビロ磐田に入団した藤田俊哉さん。プロ1年目からレギュラーとして活躍し、ジュビロ在籍時にはリーグ優勝、アジアクラブ選手権優勝、JリーグMVPなど数々のタイトルや賞を獲得しました。
2003年にはオランダのユトレヒトに半年間の期限付き移籍。クラブから移籍期間延長を要望されるほどの活躍を見せました。
しかし、いろいろな事情が重なりジュビロ磐田に戻ることになります。
日本に復帰してからはジュビロ磐田や名古屋グランパス、さらにJ2のクラブを渡り歩き
2012年に現役を引退しました。J1通算419試合出場、100ゴールという偉大な記録を残しています。
また、1995年から日本代表に10年間選出され続け、24試合に出場、3ゴールを記録しました。
海外でさまざまな経験を積む
海外で指導者になる目標を持っていた藤田俊哉さんは、引退後に日本のS級コーチライセンスを取得し、その後VVVフェンロのコーチに就任します。リザーブの選手たちのトレーニングを担当し、試合相手のスカウティングや監督の補佐も行うようになりました。
指導者としての経験を着々と積み上げていた藤田俊哉さんのもとに、監督としてのオファーが届きます。
ただ、そこには大きな問題がありました。藤田俊哉さんの持つ日本のS級ライセンスが、ヨーロッパでは認められなかったのです。
藤田俊哉さんは、自分のライセンスではヨーロッパで監督になれないことを知ると、指導者としての活動には一度区切りをつけます。そして、クラブのフロント業務を行うスタッフとして、イングランドのリーズ・ユナイテッドに転職しました。
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ヨーロッパで活躍する日本人選手のために活動
藤田俊哉さんの現在の仕事は、日本サッカー協会の欧州駐在強化部員。
ヨーロッパで長く過ごした藤田俊哉さんは、日本代表を強くするためには、海外でプレーする日本人選手とクラブ、日本サッカー協会のより深いコミュニケーションが必要と考えていました。
その考えを日本サッカー協会に訴えかけたことで、協会は新たなポストを用意し、藤田俊哉さんが任命されました。
欧州駐在強化部員として、ヨーロッパのクラブと日本サッカー協会をつなぐ役割や、日本人選手と会ってケガやコンディションを確認することを任されています。日本代表の強化に関わる重要な仕事といえます。
さまざまな経験を糧に監督を目指す
今後の目標として、日本人指導者のヨーロッパでのチャンスを広げたいと話す藤田俊哉さん。
ヨーロッパで活躍する日本人監督の実現も目指したいと思います。もちろんそれが自分であればベストですが、自分じゃなくても別に構いません。
引用:「欧州での日本人選手の評価とは? 『海外で活躍する監督を』藤田俊哉が見据える日本サッカーの進化」
藤田俊哉さんは指導者としての道に一度区切りをつけたものの、ヨーロッパの舞台で監督になる目標は諦めていません。指導者だけでなく、フロントスタッフ、強化部員などさまざまな仕事を経験したことで、広い視野と多角的な視点を持った監督になるでしょう。
日本代表の強化に欠かすことのできない立場にいる藤田俊哉さんの、今後の活動に注目しましょう。
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