都築龍太の現在〜アジアを制した浦和レッズの守護神は、さいたま市民を守る政治家へ転身〜

浦和レッズの守護神として、2007年AFCチャンピオンズリーグで優勝を果たした都築龍太(つづき・りょうた)さん。正確なキックや気迫のこもったプレーが特徴で、2001年からは長く日本代表に招集されました。

都築龍太さんは、2011年に契約満了により浦和レッズを退団。移籍先を探すものの新しいチームが見つからず、32歳で引退という決断をしました。

13年間Jリーグの第一線で戦い続けた都築龍太さんは、引退後どのような活動をしているのでしょうか。

ガンバ大阪や浦和レッズで活躍

都築龍太さんは長崎県の国見高校を卒業後、1997年にガンバ大阪に入団します。

しかし現サッカータイ代表監督の西野朗氏との確執が表面化し、2003年に浦和レッズに移籍。Jリーグをはじめ、天皇杯、ナビスコカップ、AFCチャンピオンズリーグなど数々のタイトル獲得に貢献しました。

また、トルシエ監督の時代には日本代表に初選出。続くジーコ監督、岡田監督の時代にも選出され、川口能活さんや楢崎正剛さんといったライバルたちと正GKの座を争い続けました

2011年に契約満了にともない浦和レッズを退団することが決まり、プレーを続けるために移籍先を探します。しかし、新しいチームは見つからず、悩んだ末に引退という選択をしました。

動画=YouTube:ACL準決勝 浦和レッズVS城南一和 PK戦 URAWA WIN!!

引退後すぐに政治家としての活動をスタート

引退後の都築龍太さんは政界に挑戦。引退からわずか3か月後の埼玉県議会議員選挙に立候補しました。しかし、選挙運動の期間が短く、東日本大震災の影響もあり、無所属で出馬した初めての選挙では落選してしまいます。

落選後に議員になることを諦めようとも考えましたが、4年後のさいたま市議会議員選挙に立候補することを目標に政治活動を続けます。子どもの小学校のPTAや地域の自治会活動への参加など、選手時代には経験してこなかったことを積極的に行いました。

そうした活動を続けた結果、2015年のさいたま市議会議員選挙で初めての当選。2019年には2度目の当選も果たし、現在も市議会議員としてさいたま市のために活動しています。

動画=YouTube:さいたまクリテリウム民間移行問題 自治体以外は民間団体!? 都築龍太議員(自民市議団)

1歩ずつ政治家としての道を歩む

プロサッカー選手を引退後、ゼロから政治家としてスタートした都築龍太さん。

市議会議員の中で一番学歴のないのが僕だったんで、ヘンなプライドがなく、「予算書が読めないから教えてください」と素直に言えた。それがよかったのかなと思うんです。議会で前に出て質問するのも緊張しましたけど、1つ1つトライ&エラーを繰り返しながら覚えていくしかなかった。それが一番の勉強になりました。

引用:「引退後4年の浪人生活を経てさいたま市議会議員に、元サッカー日本代表の守護神・都築龍太の挑戦

わからないことだらけの新しい世界で、地道に経験を積み、政治家としての道を1歩ずつ進んでいます

都築龍太さんは現在、元アスリートという経歴を活かし、市議としてさいたま市のスポーツや教育の問題に取り組んでいるそうです。また、市議という立場で現役時代所属していた浦和レッズやサッカーに恩返しがしたいとも語っています。

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