「バティゴール」と呼ばれる数々の豪快なシュートで世界中を魅了したガブリエル・バティストゥータ氏。長く在籍したフィオレンティーナやアルゼンチン代表では、英雄として讃えられています。
1998年フランスW杯で、初出場を果たした日本を相手に奪ったバティストゥータ氏のゴールは、多くの日本人にとって忘れることのできない歴史的なシーンといえるでしょう。
2005年に現役を引退したバティストゥータ氏ですが、現在はどのような活動をしているのでしょうか。
動画:YouTube『Gabriel Batistuta | FIFA World Cup Goals』
現役時代は世界最高のストライカー
バティストゥータ氏はアルゼンチンのニューウェルズでデビュー。その後、リーベル・プレートやボカ・ジュニアーズといったアルゼンチンの名門クラブを渡り歩きました。
1991年にはイタリアのフィオレンティーナに移籍。9年間在籍し、セリエAの得点王獲得やカップ戦優勝などに貢献しました。チームがセリエBに降格しても移籍せず、セリエAへの復帰のために戦ったことで、フィオレンティーナのファンから絶大な支持を受けています。
2000年にASローマに移籍してセリエA優勝を経験。バティストゥータ氏はさらにインテル・ミラノ、カタールのアル・アラビと渡り歩き、2005年に引退しました。
またアルゼンチン代表としてコパ・アメリカ2連覇、W杯に3回出場し2大会連続でハットトリックを記録するなどの活躍をしています。
歩けないほどの足の痛みに悩まされる
引退後のバティストゥータ氏はサッカー以外のスポーツに挑戦。ゴルフや馬に乗って行うスポーツ「ポロ」を学び、特にポロではプロ選手として活躍しました。
一方で、バティストゥータ氏は引退後しばらくの間、足の関節の痛みに悩まされていました。その痛さは医師に足の切断を懇願するほどのもの。ベッドの上から動くことができない日々が続いたそうです。
その後、治療のおかげで少しずつ歩けるようになり、現在は再びサッカーができるほど回復しています。
現在もさまざまな挑戦を続けている
バティストゥータ氏はスポーツだけでなく、ビジネスにおいてもいろいろな挑戦をしています。2007年にアルゼンチンで建設会社を設立。さらに家族とともにサッカー選手として稼いだお金で牧場の経営も始めました。
さらに、地元でスポーツ施設を作るプロジェクトも計画中。サッカーはもちろん言語やビジネスなど、人生に必要なさまざまなことを学べる場所にしたいそうです。
また今後の活動について以下のように語っています。
今は落ち着いた生活しているよ。このまま牧場があって今の生活をずっと続けていくんじゃないかな。分からないよ。もしかしたら、何か違うことが出てくるかもしれないし。世の中にはいろいろな可能性があるからね。
引用:『【中田英寿×バティストゥータ】夢の対談・後編 ~人生哲学、将来、語学について』
将来的には、フィオレンティーナのために働きたいと話すバティストゥータ氏。今後もさまざまな挑戦を続けていくのでしょう。
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