教育現場でよく学習目標に掲げられる「自ら考える力」。サッカーではとりわけ、自主性がそのままプレーとして表現されます。そのため、指導者が選手に「考えろ!」と伝えるシーンはよく見かけるものです。しかし、言われた選手が考えられる力を持っているのか、指導者は把握しているのでしょうか?
自由や自主性と同じくらい大切な「1」をつくる作業を考えよう
日本には武道や茶道など、さまざまな「道」があり、さらに流派に別けられることによって、表現や作法に違いがあります。サッカーも同じように、国や地域によって戦術やプレースタイルが異なります。
このように、違いが出てくる理由としては、基本となる「型」をしっかりと身に着けさせているからです。ポゼッションに高い意識を持つチームであれば、パスやコントロールの質を高めるためのトレーニングやメソッドを選手に植え付けようとするでしょう。そして具体的に「ボールが来た方向と反対の足でコントロールをする」「中盤でパスを出す場合、相手選手との距離が十分にとれている味方選手を選択する」など、メソッドを型にはめていきます。
こう説明すると「選手が自由にプレーできないのでは?」と懸念を抱く人もいるでしょう。型にはめると、ロボットのように選手全員が同じようなプレーしかできなくなるのでは、と。しかし、選手が自由にプレーをするためにはアイデアが必要であり、何かが備わっていなければ作り出すことはできません。考える力となる「引き出し」が必要なのです。

指導者が選手に「もっと見ろ」と伝えたときも同じです。普段のトレーニングで、「サッカーの見る」ことは何かを教えていなければ、選手が受け取る指導者の声は単語でしかなく、理解できない言葉は時にプレッシャーにもなる可能性もあります。そうならないために、指導者は型を作り、指導する必要があるのです。
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