サッカーのみならず、スポーツをやっていると挨拶ができるようになるのは、偶発的でなはない。特に集団スポーツは毎回の練習でも多くの人と触れ合い、さらに対外試合ともなればその数は倍になる。挨拶する大切さを指導者はじめ、周りの先輩や大人が教えてあげる過程で、多くの人と触れればふれるほど、挨拶が身体に染み付くものだ。
ただ、意外なことがある。たとえば、不意に外部から人が現れた時に挨拶はしているがどこかそっけなかったり、またそういった人と時間をともにしていると次第に重い空気が漂ってしまったりなどだ。
もちろん、その人が神経質な可能性もあるが、挨拶をただの儀礼として捉えるのではなく、自分と相手にとってどういった影響があるのか考えていくと、さらに身につけておくべきことがある。
どんな環境でも「もてなし」の気持ちを持つことが社会的なリレーションを構築する基盤
「家によっていって」。ある旅番組で、村を訪れたリポーターがいきなり出会ったおじさんからもてなしを受けた。家の中で終始笑顔でリポーターに話しかけるおじさんに、テレビを見ていた人は心和んだことだろう。
アメリカで素敵な笑顔のことを「ウイニングスマイル」というらしい。対人において笑顔で接してもらって不快に思う人は、ほぼいない。相手のことを好きであろうとなかろうと、第一印象で好感を持たせることが重要なのだ。
ある海外のサッカークラブでは、どんな人間が来ても丁重にもてなすよう、子どもたちに指導をしているという。ビッグクラブの重役が訪れても、好印象を与えるためだそうだ。
これらすべてに共通していることは、相手に対してもてなしの心を持っているということだ。元気に挨拶をしたら終わり、ではなく、終始その人が心地よい時間を過ごしてくれるようつとめる。そう振る舞っているのだ。
「でも、子どものときからそこまで――」。子どものときは元気に挨拶できればそれでいい、そう思った人もいるだろう。しかし、もてなしは子どものときから大人が意識させたほうが、さまざまな利点がある。
第一にリレーションが構築されやすい。スポーツは実力が物を言うが、そこには多くの人が携わる。監督、コーチ、スタッフ、観客などだ。全員と長期的に健康な関係を保つためには、やはり印象の良さが重要となる。どんなに実力がある選手でも、いつもぶっきらぼうな姿勢で周りの人と接していれば、自然にギクシャクした関係になるのは目に見える。
昨今、若年層のプロ契約が普遍的となり、子どもたちは早くから檜舞台を目指す傾向にある。ともあれば、なおさら挨拶だけでは足りない。大人であろうと、もてなす姿勢を持てなければ目の前のチャンスを逃してしまう可能性がある。
ここまで何度ももてなすという言葉を使用したが、では具体的に指導者は何をすればいいのだろうか。
コメントを残す