今回のブログでは、ギャラクシー1年目の出来事と、アメリカサッカーの仕組みについて話して行きたいと思います。
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サカレコ編集長ブログ①スペインプロ選手からサカレコ編集長になるまで
非常に充実した一年目
ロサンゼルスギャラクシーに入団して、一年目は非常に充実したシーズンを過ごしました。

ギャラクシーユースはアメリカの中では一番と言っても過言ではない有名なチームで、それ故に非常に優れた組織でした。入団当時はU-13でしたが、コーチ陣は常に4人、専属のトレーナーが一人、ウェアは全て支給されシューズもアディダスから支給。毎年の支払いもなく、遠征代も全て無料でした。トレーニングメニューはヨーロッパから導入されたメソッドを積極的に取り入れ、サッカー選手として扱われました。
練習は週に4回、週末に試合だったため、常にサッカーのことを考えていました。また、特別制度があり、ギャラクシーに所属しているだけで学校の体育の単位を取る必要がなかったり、遠征などで休んでも免除されるなど、本当に恵まれている生活でした。
当時の監督は僕をスカウトしてくれた監督なので、当時まだフォワードとしての起用でしたが、試合にも出場させていただき、チームの主格として試合に出場していました。
転機となった遠征
アメリカでは学年別ではなく年代別で別れるのですが(当時U-13は98年世代)、自分のチームで活躍していた僕は、96年世代のチームに呼ばれ、共にGeneration Adidas(ジェネレーション・アディダス)という大会に参加するメンバーとして召集されました。
Generation Adidasは、アディダスが主催する次世代のアメリカサッカーを担う選手達が集まる大会です。呼ばれるチームは主にMLS(アメリカプロリーグ)のチームで、非常に大舞台です。
3週間大会の準備のためチームと合流し、そこでトレーニングを積み、テキサス州・ダラスへ遠征しました。
当時のチームのメンバーはお調子者の選手が多く、飛行機で騒いで怒られたり、ホテルで怒られたりしている選手が非常に多かったです。個人的には年上の選手と一緒に行動するのが怖かったですが、皆仲良くしてくれて、非常にいいメンバーでした。96年世代は8割がメキシコ人で、本当に優れた選手が多かったのを覚えています。優勝こそ逃しましたが、大会の得点王を取る選手、最優秀選手賞を取る選手、今でもアメリカのプロで活躍している選手が数名います。
僕はこの大会で1試合しか出場できませんでしたが、当時年上の選手とプレーして、この経験を得させていただいたことは、本当に大切な事だったと思っています。
アメリカサッカーの仕組み
アメリカでサッカーをプレーしている大半の選手が目標としている事は、サッカー選手になることではなく、大学から高額の奨学金を貰い、ステータスの高い大学に入学することです。
無論、僕の目標もそこにありました。
有名なチームだと大学のコーチ陣は必ず見てくれるのですが、アプローチしたい大学があると自ら大学のスカウト部へ
- 名前
- 経歴
- プレー動画
- 観に来て欲しい試合の日程と場所
を送ります。そして、実際に来ていただいたら挨拶をしたり、大学側が興味を持っていただけたら、メールが来て大学見学や、ミーティングの申し出があるという仕組みになっています。
僕が目指していた大学はUCLA一択でした。高校一年生の頃からアプローチを掛け、話を進めていけるように努力しました。
正直、一年目を終えてギャラクシーユースで主力で活躍して、年上のメンバーにも召集されてと実績があったので、入れると思っていました。

プロフィール 井手ウィリアム航輔
カリフォルニア州・ロサンゼルス生まれ。アメリカで高校を卒業し、15校以上の大学から奨学金のオファーがあったが、プロを目指すためすべてのオファーを断り、単身でドイツとスペインへ留学。スペインへ留学中、1部リーグCDレガネスとプロ契約。2020年契約満了とともに退団。2021年2月にサカレコ編集長就任。日本語・英語・ドイツ語・スペイン語の4ヶ国語を操るマルチリンガル。日本の出身地は広島県。
Instagram: @k.ide_football
Twitter: @kide_football
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